« 紅葉・黄葉 | トップページ | クリスマス »

愛国心って・・・?

愛国心

この言葉は戦争をイメージさせる。お国のためにといって命をかけ、恐怖、飢え、寂しさ、悲しさあらゆる苦難に耐える。そんなイメージがある。

でも、日本を好きかと聞かれれば好きである。

私が自分自身を日本人と意識し、日本人で良かったと思ったのは、海外に出るようになってから。そして、日本の文化を目の当たりにしたとき。そんな大げさではないですが。

海外では生活習慣や食習慣、衛生面などで何度びっくりしたことか・・・

パリに行ける!って喜んだ時もあったけど、通りを歩いていたら汚らしかった。シンガポールは雑多な感じがしていたけどきれいだった。ドイツでは公園におかれたリサイクルボックスの大きさに驚き、家々が綺麗な花で飾られているのがとても羨ましかった。

キチャないところへ行ったら日本が誇らしい。キレイなところへ行ったら、日本も負けないようにキレイにしなくちゃと思う。

だから、渋谷を歩いているとがっかりする。この街に来る人は常識ナシ人なんだなぁと、周りを歩いている人が本当にお馬鹿チャンに見えてくる。でも、綺麗な夕焼けにシルエットの富士山が見えたとき、電車から見える桜並木、高速から見える横浜の夜景、真っ赤なもみじ、まっ黄色なイチョウ、いつの間にか積もった富士山の雪・・・

それから茶道。

お向かいのおばあさんは裏千家の先生。三年前、春のお茶会に誘っていただいた。作法を知らないと恥ずかしいから練習にいらっしゃいと呼ばれ、早々に伺ったのだが・・・

玄関で靴を脱ぎ階段を上がりかけたとき「あらっ、キヨミサン、靴下は白でなくちゃ」「はっ?」「お洋服でもよろしいけど、お茶室での履き物は白でなくちゃ」「あ・・・」お向かいなので、ダッシュで履き替え。

さすが、先生のお家、二階は茶室になっていました。まずは床の間の掛け軸、お香壷、茶碗、その他色々を見せていただいて、「さあ、あちらにお座りになって」「畳の縁から十三目のところにお膝がくるように」へっ?そんな決まりがあるのか・・・確か十三目だった気がします。なんせ、三年前のこと。

先生は私に説明しながら静々と進めていきます。この時、先生は84歳。足腰が弱くなって綺麗に歩けないの。本当は手をつかずに立つのだけれど。若い方がなさると本当に綺麗なのよ。先生が気恥ずかしそうにしていたのが印象的。

私自身はお茶をいただく作法だけ教えてもらえれば良かったのだけれど、「キヨミサンもやってごらんなさい」と進められ、やる気満々で挑戦。

お茶室に入る時は左足から、足はすり足、座る位置はここ、棗を置くのはここから三目、手首の角度はこう、背筋を伸ばして、柄杓の置く位置はここ、エトセエトラ・・・

すごいなぁ、全部決まってるんだ。型にはまってる。

その時、日本の文化ってこういうものかと感じた。静寂、形、所作、作法、これらの美しさ。音楽も煌びやかさも不要。それから2週間後、春の茶会は三渓園の内苑で行われた。茶室に上がるまでの小路もおもてなし。山野草が手を加えられていないような振りをして、客をもてなしてくれる。実に奥ゆかしい。そう言えば、日本語も奥ゆかしい表現がある。お茶が入ってる。お茶が勝手に入る訳はない。誰かが入れたのである。お茶を入れた人は、「お茶を入れてあげた。」と言う事もできるのに、恩着せがましくせず、「お茶が入ってる。」と言う。

非常に前置きが長くなったが、やっぱり日本人だから、日本人のこの感覚が心地よいのである。だから日本が好き。

愛国心を教えるか教えないか。

私は日本が好きになるようなチャンスをたくさん用意できればいいと思う。

海外に行って日本と海外を比べてみる。異文化コミュニケーションである。小さい頃なら遠足でキレイな景色を見て感動する。学校の屋上で富士山が見えたら嬉しい。虫の声を聞いてみる。着物を着てみる。フォークとナイフを使う洋食マナーじゃなくて、お碗をもって優雅にお味噌汁を飲む方法を習う。

愛国心が戦争に行く兵隊や従順な国民のためにある言葉ではないのなら、外国に行って、外国人に会って、日本が好きって言える日本人が、愛国心を持ってるってことになるのではないですか?

だったら、教育の場で「愛国心」を教えてもいいですよね。教え方の自由が守られればいいんじゃないですかね?

|

« 紅葉・黄葉 | トップページ | クリスマス »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 紅葉・黄葉 | トップページ | クリスマス »